《主護霊(守護霊)》 protection soul
東洋文化の霊魂と西洋文化のガイスト(霊)では死後の世界観や死生観が異なるので、同列に論じることはできませんが、本来はどちらにも「先祖供養」や「守護霊」という概念は存在していません。
■〈西洋文化思想と東洋文化思想〉
●「先祖供養」が必要か不必要かを問う場合、日本の宗教家や霊能者と言われている人の多くは先祖供養は必要であると説いていますが、外国のスピリチュアルイズムに関わる人達は先祖供養について、ほぼ語られることがないという事実があります。
このことは霊的構造や法則の問題ではなく「先祖供養」という概念は人の魂の想いが作り出したものであって、それぞれの国の成り立ちや文化や宗教観によって死後の世界観や死生観が異なれば、それに合わせて、死後の世界の構図も多種多様に異なるものになるということでしょう。
日本国内に目を向ければ、時の権力の政策的な神仏習合や徳川幕府時代の政策などで民衆に根付いた小乗仏教は、本来の釈迦が説いていた仏教にはなかった「先祖供養」という概念を、取り入れることで宗派や寺院の経済に大きく貢献したものです。
日本で、まだ「先祖供養」という概念がなかった時代には亡くなった魂を、子孫に供養してもらうという想いは希薄だったことでしょう。言い替えれば「先祖供養」を慣習としてきた日本人だからこそ子孫による「先祖供養」は必要なわけで「先祖供養」という慣習を持たない外国の人々には亡くなった魂に対してのそのような概念は存在しないので、子孫に供養を求めるようなこともしなかったのではと思われます。
●「守護霊」という概念は近年になって出てきたもので、日本に古来からある「守り神」という概念や、欧米でいわれる「守護聖人」の概念とも異なるものです。
スピリチュアルイズムのバイブルとされているイギリスの「シルバーバーチの霊訓」の中で、1920年頃に出てくる「guardian spirit」という言葉を日本語の翻訳本では「守護霊」と訳されていて、日本の霊的世界の構造や法則に影響をもたらしたといえます。
日本で最初に「守護霊」という言葉を用いたのは、1970年代後半に出版された「守護霊を持て」という本で、今の阿含宗を立宗した桐山靖雄氏の著作です。ただ、この場合の「守護霊」はアーガマ(阿含経)に基づく仏教の特殊な先祖の霊の供養によって霊格の非常に高い霊を、個人や家や建物に呼び込む(招き入れる)ものです。
近代の新興宗教の一部(守護霊を神として立教している宗派)を除き、既成の仏教宗派やキリスト教各派などの原典には「守護霊」という言葉は登場していません。
日本の霊的世界の構造の中で「守護霊」とは、スピリチュアルイズムを日本流に解釈して主に先祖の中で本人を見守って指導してくれる霊として誰もが持っているものと、広まっていったものと思われます。
このことは霊的構造や法則の問題ではなく「先祖供養」という概念は人の魂の想いが作り出したものであって、それぞれの国の成り立ちや文化や宗教観によって死後の世界観や死生観が異なれば、それに合わせて、死後の世界の構図も多種多様に異なるものになるということでしょう。
日本国内に目を向ければ、時の権力の政策的な神仏習合や徳川幕府時代の政策などで民衆に根付いた小乗仏教は、本来の釈迦が説いていた仏教にはなかった「先祖供養」という概念を、取り入れることで宗派や寺院の経済に大きく貢献したものです。
日本で、まだ「先祖供養」という概念がなかった時代には亡くなった魂を、子孫に供養してもらうという想いは希薄だったことでしょう。言い替えれば「先祖供養」を慣習としてきた日本人だからこそ子孫による「先祖供養」は必要なわけで「先祖供養」という慣習を持たない外国の人々には亡くなった魂に対してのそのような概念は存在しないので、子孫に供養を求めるようなこともしなかったのではと思われます。
●「守護霊」という概念は近年になって出てきたもので、日本に古来からある「守り神」という概念や、欧米でいわれる「守護聖人」の概念とも異なるものです。
スピリチュアルイズムのバイブルとされているイギリスの「シルバーバーチの霊訓」の中で、1920年頃に出てくる「guardian spirit」という言葉を日本語の翻訳本では「守護霊」と訳されていて、日本の霊的世界の構造や法則に影響をもたらしたといえます。
日本で最初に「守護霊」という言葉を用いたのは、1970年代後半に出版された「守護霊を持て」という本で、今の阿含宗を立宗した桐山靖雄氏の著作です。ただ、この場合の「守護霊」はアーガマ(阿含経)に基づく仏教の特殊な先祖の霊の供養によって霊格の非常に高い霊を、個人や家や建物に呼び込む(招き入れる)ものです。
近代の新興宗教の一部(守護霊を神として立教している宗派)を除き、既成の仏教宗派やキリスト教各派などの原典には「守護霊」という言葉は登場していません。
日本の霊的世界の構造の中で「守護霊」とは、スピリチュアルイズムを日本流に解釈して主に先祖の中で本人を見守って指導してくれる霊として誰もが持っているものと、広まっていったものと思われます。
■〈主護霊(守護霊)とは〉
○守護霊は人間の都合で選んだり替えたりすることはできない。
○人間を守護する力が強い守護霊に守られている人は、運に恵まれやすい。
○人間を守護する力が強い守護霊に守られている人は、大難も小難で済むことが多い。
○守護霊が人間を守護する力が弱いと、守りきれなくなり不運に見舞われることもある。
○守護霊が人間を守護する力が弱いと、些細なことで病気になりやすい。
○全ての出来事が、守護霊の都合や力量の影響を受けているわけではない。
○守護霊は人間を守っているというよりは、守ろうと努力してくれている。
○人の人生はその人間個々の考え方(心のあり方)によって決まるのであって、
守護霊は守ろうと努力しているその人間の考え方に影響されながら守護している。
霊格の高い守護霊に守られている人は、何をしても成功する確率が高く、物事が思い通りにうまくいく人や運の良い人です。霊格の低い守護霊に守られている人は、いずれは成功するが、物事が思い通りにうまくいき難く、運にも左右されて苦労が伴う人です。
守護霊との関係を一般社会にある企業に例えれば、支店や営業所が個々の人間とすれば、守護霊は本社(霊界)から派遣されて来た教育指導係といえるでしょう。
ゆえに、守護霊の役割とは、営業成績を上げるための勉強に毎日打ち込んでいる教育指導係が、支店や営業所と営業会議をしながら、共に努力し支えながら営業成績を上げていくのに似ているといえるのではないでしょうか。
人間界の一人一人の人間の魂を見守るということは、守護霊自身も霊界にあっては霊格の向上に努めているといえます。
霊界サイドから見た守護霊とは、このような役割の存在です。
一人一人の人間は、一人一人に使命や課題を与えられて人間界に誕生してきています。一人一人の霊魂がより高い霊格をそなえるように努力することが、一人一人に与えられた人間界における使命であって、そのために人間界という試練の場、修業の場へ送り込まれたものといえます。
人間界には魂の汚れた人間もいれば、高度な精神(魂)をもつ人間も混在しています。一人一人がさまざまな段階での試練を受けて試されているのです。
その一人一人の人間を、常に注視しながら使命を全うできるように支え、守ってくれているのが守護霊の役割なのです。
○人間を守護する力が強い守護霊に守られている人は、運に恵まれやすい。
○人間を守護する力が強い守護霊に守られている人は、大難も小難で済むことが多い。
○守護霊が人間を守護する力が弱いと、守りきれなくなり不運に見舞われることもある。
○守護霊が人間を守護する力が弱いと、些細なことで病気になりやすい。
○全ての出来事が、守護霊の都合や力量の影響を受けているわけではない。
○守護霊は人間を守っているというよりは、守ろうと努力してくれている。
○人の人生はその人間個々の考え方(心のあり方)によって決まるのであって、
守護霊は守ろうと努力しているその人間の考え方に影響されながら守護している。
霊格の高い守護霊に守られている人は、何をしても成功する確率が高く、物事が思い通りにうまくいく人や運の良い人です。霊格の低い守護霊に守られている人は、いずれは成功するが、物事が思い通りにうまくいき難く、運にも左右されて苦労が伴う人です。
守護霊との関係を一般社会にある企業に例えれば、支店や営業所が個々の人間とすれば、守護霊は本社(霊界)から派遣されて来た教育指導係といえるでしょう。
ゆえに、守護霊の役割とは、営業成績を上げるための勉強に毎日打ち込んでいる教育指導係が、支店や営業所と営業会議をしながら、共に努力し支えながら営業成績を上げていくのに似ているといえるのではないでしょうか。
人間界の一人一人の人間の魂を見守るということは、守護霊自身も霊界にあっては霊格の向上に努めているといえます。
霊界サイドから見た守護霊とは、このような役割の存在です。
一人一人の人間は、一人一人に使命や課題を与えられて人間界に誕生してきています。一人一人の霊魂がより高い霊格をそなえるように努力することが、一人一人に与えられた人間界における使命であって、そのために人間界という試練の場、修業の場へ送り込まれたものといえます。
人間界には魂の汚れた人間もいれば、高度な精神(魂)をもつ人間も混在しています。一人一人がさまざまな段階での試練を受けて試されているのです。
その一人一人の人間を、常に注視しながら使命を全うできるように支え、守ってくれているのが守護霊の役割なのです。