《人と霊》 person and soul
人と魂について、魂(ゼーレ)や霊(ガイスト)という言葉が東洋文化や西洋文化の中でどういう意味で使われてきたかを理解しておく必要があります。
人(人間)とは、物理的にはタンパク質を主体として構成された1.知性 2.感性 3.本能 4.魂 5.真我の精神的な多重構造がタンパク質を主体として構成された肉体という物質的な器に入っているもので、ゆえに人間は体と心(肉体と精神)により、自己(自分)の存在や価値観を認識できるものです。
○ 知性は「心の中の自己」で、感性は感情や感覚という「体の中の自己」で、本能は「体の中の欲求」です。これら知性、感性、本能いずれも人間が肉体生命を維持するために与えられたものです。これは、人間界での生存競争を生き抜くために自己中心的、物欲的、闘争的であり、魂の成長と反対の方向にあって生存欲ともいえるものです。
○魂とは、心と体の自己という表面上の意識が忘れられている時にだけ存在感を示す「内面の自己」で、真我は、魂の内面にある「自己の真の主体」です。
人(人間)とは、物理的にはタンパク質を主体として構成された1.知性 2.感性 3.本能 4.魂 5.真我の精神的な多重構造がタンパク質を主体として構成された肉体という物質的な器に入っているもので、ゆえに人間は体と心(肉体と精神)により、自己(自分)の存在や価値観を認識できるものです。
○ 知性は「心の中の自己」で、感性は感情や感覚という「体の中の自己」で、本能は「体の中の欲求」です。これら知性、感性、本能いずれも人間が肉体生命を維持するために与えられたものです。これは、人間界での生存競争を生き抜くために自己中心的、物欲的、闘争的であり、魂の成長と反対の方向にあって生存欲ともいえるものです。
○魂とは、心と体の自己という表面上の意識が忘れられている時にだけ存在感を示す「内面の自己」で、真我は、魂の内面にある「自己の真の主体」です。
■〈魂の西洋文化思想と東洋文化思想〉
魂は、西洋文化の思想では「肉体を支配するために適応され、理性を付与された、特別な実体」で、魂は「感覚と思考、願望、信仰、意図した行為を実行する能力を備えている人間の本質的な部分である」と、いわれています。
魂は、東洋文化の思想では魂(こん)と魄(はく)という二つの異なる存在があると考えられていました。魂は精神を支える気で、魄は肉体を支える気をさしていて、魂と魄は易の思想と結びつき、魂は陽に属して天に帰し、魄は陰に属して地に帰すと考えられていて、肉体以外の部分を言い表す概念であって、「肉体や精神とともに生命の三要素のうちの一つ」と、されています。
日本語の魂(たましい)という言葉は、信念や思想を表現する言葉として、慣用的に使われているのが現状です。(大和魂、役者魂、職人魂などの、〜魂のことです。)
肉体が滅びる(死)と、肉体から離れて「あの世」(死後の世界、霊界)へ行ったり、「この世」(生者の世界、現世)に影響を及ぼすと考える文化や思想も存在します。あの世に還った霊魂が、再びこの世に生まれ変わるという考えが、輪廻転生(転生輪廻)の思想の原点といえます。
ここでは、詳しくふれることを避けますが、現代の仏教の原点である「釈迦の教義」の中に天国や地獄、因果、因縁、輪廻転生などの、現代の仏教や種々の宗教で説かれているような「死生観」に伴う概念は存在しません。釈迦は唯一「悟り」を説いているだけです。
魂は、東洋文化の思想では魂(こん)と魄(はく)という二つの異なる存在があると考えられていました。魂は精神を支える気で、魄は肉体を支える気をさしていて、魂と魄は易の思想と結びつき、魂は陽に属して天に帰し、魄は陰に属して地に帰すと考えられていて、肉体以外の部分を言い表す概念であって、「肉体や精神とともに生命の三要素のうちの一つ」と、されています。
日本語の魂(たましい)という言葉は、信念や思想を表現する言葉として、慣用的に使われているのが現状です。(大和魂、役者魂、職人魂などの、〜魂のことです。)
肉体が滅びる(死)と、肉体から離れて「あの世」(死後の世界、霊界)へ行ったり、「この世」(生者の世界、現世)に影響を及ぼすと考える文化や思想も存在します。あの世に還った霊魂が、再びこの世に生まれ変わるという考えが、輪廻転生(転生輪廻)の思想の原点といえます。
ここでは、詳しくふれることを避けますが、現代の仏教の原点である「釈迦の教義」の中に天国や地獄、因果、因縁、輪廻転生などの、現代の仏教や種々の宗教で説かれているような「死生観」に伴う概念は存在しません。釈迦は唯一「悟り」を説いているだけです。