■運命とは、
《運命と宿命》fate and fate
人は誕生してから、死亡するまで自らの命を運んでいきます。要するに「生きるという行為」の命を運んでいる時に遭遇するさまざまな出来事が運命です。言い替えれば「生きている間に起こった出来事」なので、運命は「生きているこの世の出来事に限定」されているです。ゆえに、運命とは、自分の意志や考え方、行動の仕方などでいくらでも変えることができるものです。
■宿命とは、
《運命と宿命》fate and fate
本質的、根源的なものを指すもので、持って生まれたものということになります。自分の意思で変えたり動かすことの出来ない事柄が宿命です。例えば、どの時代にどこの国で誰を親として生まれるかも、男女の性別や生年月日、血液型なども自ら決めることも選ぶことも出来ません。「両親は日本人同士だが、兄はアメリカで生まれたのでアメリカ国籍を持った日本人で、私は日本で日本人として生まれた」というのが宿命だといえます。
■盛り塩とは、
盛り塩の起源
本来、中国の故事に由来するもので、客の足を止めるための縁起物です。中国の故事で晋時代(約1300年前)に時の皇帝が後宮を廻ったとき、寵愛を望んだ美妃が一計を案じ、通る時刻を見計らって門前に牛の好物の塩を盛って牛車を引き寄せたとされていますが、原書とされる「晋書・胡貴賓傳」には“戸口に竹の葉をさし、塩汁を地に撒いて帝の車を引き寄せた”と書かれています。■「供え塩」と「撒き塩」
日本では、料理屋や寄席などで、掃き清めた門口(出入口)に縁起を担ぐ塩を小さく盛ることをいいます。呼び方も様々あって清め塩、盛り花、口塩、塩花などともいいます。
古くは花柳界などで、盛り塩をして「客を呼ぶ」とされてきました。
また、神道の神事で用いられる「清めの供え塩」などがあります。塩は神道には欠かすことのできない大切な「祓い」の一つでもあり、同時に神に奉る神饌の一つでもあります。家を建てる時などの地鎮祭での盛り塩と祓いは、地鎮祭は工事の安全祈願祭であって、その土地の神様に「供え塩」(神饌)をして、工事の安全を願い「撒き塩」(祓い)をしています。
「盛り塩」は本来「良い客を呼び込むために入り口を清めて、来客者が嫌なことを持ち込むのを防ぐ」ために用いるもので、災いを除けたり厄を祓うための「撒き塩」とは、異なるものです。
古くは花柳界などで、盛り塩をして「客を呼ぶ」とされてきました。
また、神道の神事で用いられる「清めの供え塩」などがあります。塩は神道には欠かすことのできない大切な「祓い」の一つでもあり、同時に神に奉る神饌の一つでもあります。家を建てる時などの地鎮祭での盛り塩と祓いは、地鎮祭は工事の安全祈願祭であって、その土地の神様に「供え塩」(神饌)をして、工事の安全を願い「撒き塩」(祓い)をしています。
「盛り塩」は本来「良い客を呼び込むために入り口を清めて、来客者が嫌なことを持ち込むのを防ぐ」ために用いるもので、災いを除けたり厄を祓うための「撒き塩」とは、異なるものです。