《神社の社格制度》
社格とは、神社の格式のことで、朝廷などにより定められたものです。
祭神(その他):天津神を祀る神社
名称:国津社
祭神(その他):国津神を祀る神社
延喜式神名帳に記載されている神社を式内社と呼び、それ以外を式外社と呼んでいました。式内社は祈年祭奉幣を受ける、当時朝廷から重視された神社で 2861社が記載されています。式内社には、古来より霊験が著しいとされる名神を祀る神社が全て含まれていて、それらを名神大社と呼んでいます。
○ 官幣社
官幣社は神祇官より奉幣を受けていた神社で、国幣社は国司より奉幣を受けていた神社です。それぞれに大と小の格が定められていて、当初は全て神祇官から直接奉幣を受けていましたが、遠国の神社については国司が代理で行うようになり、官幣社と国幣社の区別ができました。但し、遠国であっても朝廷にとって重要な神社は官幣社となっていました。
社格の順は以下の通りです。
1.名称:官幣大社
奉幣:神祇官が直接に奉幣
2.名称:国幣大社
奉幣:国司が代理で奉幣
3.名称:官幣小社
奉幣:神祇官が直接に奉幣
4.名称:国幣小社
奉幣:国司が代理で奉幣
○一の宮
一の宮は国で一番有力な神社で、国司が任国に赴任したときに神拝といって任国内の神社を巡拜しなければなりませんでした。その中でもっとも有力な神社を一の宮と呼ぶようになり、一番初めに参拝し、国によっては二の宮、三の宮も存在しました。明確な規定はなく神社の盛衰によっても、時代によっても異なります。
○ 惣社(総社)
国司の神拝の際に、任国内の神社を巡拝してまわるには時間も労力もかかるので、国府の近くに神社をまとめて合祀したものが総社(惣社)です。
○ 国司奉幣社
国司奉幣社は各国の国内神名帳に記載のある神社で、国内神名帳はいわば国司が神拝する際に参拝する神社のリストです。但し、一部の国のものしか現存していないので、正確な実体や総数などは不明です。
○ 二十二社
二十二社(明神二十二社)は国家の一大事に朝廷が奉幣した有力神社の22社のことです。
○ 国史見在社
国史見在社は、六国史に記載のある神社のことで、国史現在社や国史所載社とも言われています。通常、国史見在社は式外社のことを指しています。
古代の社格制度
名称:天津社祭神(その他):天津神を祀る神社
名称:国津社
祭神(その他):国津神を祀る神社
中世の社格制度
○延喜式による社格制度延喜式神名帳に記載されている神社を式内社と呼び、それ以外を式外社と呼んでいました。式内社は祈年祭奉幣を受ける、当時朝廷から重視された神社で 2861社が記載されています。式内社には、古来より霊験が著しいとされる名神を祀る神社が全て含まれていて、それらを名神大社と呼んでいます。
○ 官幣社
官幣社は神祇官より奉幣を受けていた神社で、国幣社は国司より奉幣を受けていた神社です。それぞれに大と小の格が定められていて、当初は全て神祇官から直接奉幣を受けていましたが、遠国の神社については国司が代理で行うようになり、官幣社と国幣社の区別ができました。但し、遠国であっても朝廷にとって重要な神社は官幣社となっていました。
社格の順は以下の通りです。
1.名称:官幣大社
奉幣:神祇官が直接に奉幣
2.名称:国幣大社
奉幣:国司が代理で奉幣
3.名称:官幣小社
奉幣:神祇官が直接に奉幣
4.名称:国幣小社
奉幣:国司が代理で奉幣
○一の宮
一の宮は国で一番有力な神社で、国司が任国に赴任したときに神拝といって任国内の神社を巡拜しなければなりませんでした。その中でもっとも有力な神社を一の宮と呼ぶようになり、一番初めに参拝し、国によっては二の宮、三の宮も存在しました。明確な規定はなく神社の盛衰によっても、時代によっても異なります。
○ 惣社(総社)
国司の神拝の際に、任国内の神社を巡拝してまわるには時間も労力もかかるので、国府の近くに神社をまとめて合祀したものが総社(惣社)です。
○ 国司奉幣社
国司奉幣社は各国の国内神名帳に記載のある神社で、国内神名帳はいわば国司が神拝する際に参拝する神社のリストです。但し、一部の国のものしか現存していないので、正確な実体や総数などは不明です。
○ 二十二社
二十二社(明神二十二社)は国家の一大事に朝廷が奉幣した有力神社の22社のことです。
○ 国史見在社
国史見在社は、六国史に記載のある神社のことで、国史現在社や国史所載社とも言われています。通常、国史見在社は式外社のことを指しています。
近代の社格制度
近代社格制度は、明治維新の後、延喜式による社格にならって新たに作られた社格制度で、第二次世界大戦後の政教分離によって廃止されました。昭和21年、神社の国家管理が廃止されるのと同時に社格も廃止されました。
官幣社は宮内省より奉幣を受ける神社で、国幣社は祈年祭、新嘗祭には宮内省より、例祭には国庫からそれぞれ幣帛が供進された神社で、それぞれに大・中・小の格が定められていました。別格官幣社は、靖国神社など当時の国に功績を挙げた人物を祀る神社で官幣小社と同格とされていました。
諸社は官国幣社以外の神社のことで、府県社は府県から奉幣を受け、郷社は府県または市から奉幣を受けた神社のことです。藩社は藩より奉幣を受ける神社ですが、社格は定められたものの廃藩置県により藩が消滅したため列格した神社はありません。このうち郷社は社格であると同時にある特定の行政機能をもつ神社でした。村社は郷社に付属するものとして設定されたもので、無格社は法的に認められた神社の中で村社に至らない神社で無格社という社格なのであり、社格がないということではありません。無格社と無格社に登録されなかった神社は、廃止されるべきものとして神社合祀の対象となったものです。
なお、神宮=伊勢神宮は、特別とされたので社格はなく、全ての神社の上に位置するとされていました。
近代社格制度の社格の順は以下の通りです。
★官国幣社(官社)
○官幣大社
○国幣大社
○官幣中社
○国幣中社
○官幣小社
○国幣小社
○別格官幣社
★諸社(民社)
○府社・県社・藩社
○郷社
○村社
○無格社
上記の近代社格制度とは別に準勅祭社(東京十社)や勅祭社が定められていました。
官幣社は宮内省より奉幣を受ける神社で、国幣社は祈年祭、新嘗祭には宮内省より、例祭には国庫からそれぞれ幣帛が供進された神社で、それぞれに大・中・小の格が定められていました。別格官幣社は、靖国神社など当時の国に功績を挙げた人物を祀る神社で官幣小社と同格とされていました。
諸社は官国幣社以外の神社のことで、府県社は府県から奉幣を受け、郷社は府県または市から奉幣を受けた神社のことです。藩社は藩より奉幣を受ける神社ですが、社格は定められたものの廃藩置県により藩が消滅したため列格した神社はありません。このうち郷社は社格であると同時にある特定の行政機能をもつ神社でした。村社は郷社に付属するものとして設定されたもので、無格社は法的に認められた神社の中で村社に至らない神社で無格社という社格なのであり、社格がないということではありません。無格社と無格社に登録されなかった神社は、廃止されるべきものとして神社合祀の対象となったものです。
なお、神宮=伊勢神宮は、特別とされたので社格はなく、全ての神社の上に位置するとされていました。
近代社格制度の社格の順は以下の通りです。
★官国幣社(官社)
○官幣大社
○国幣大社
○官幣中社
○国幣中社
○官幣小社
○国幣小社
○別格官幣社
★諸社(民社)
○府社・県社・藩社
○郷社
○村社
○無格社
上記の近代社格制度とは別に準勅祭社(東京十社)や勅祭社が定められていました。
神階と勲位
神階とは、日本において神道の神に授けられた位階で、神位(しんい)ともいいます。
○神階
人臣に授けられた位階を神にも授けたものです。正確には、位階は人にも神にも区別なく授けられたもので、そのうち神に授けられたものが神階と呼ばれるということになりました。その仕組みは人臣に対する位階と同じで、位階・勲位(勲等)・品位の三種がありました。
人に対する位階は少初位下から正一位までの30階でしたが、神に対するものは正六位から正一位までの15階のみでした。神に位階を授けた最初の記録は、日本書紀において天武天皇元年に壬申の乱に際して霊験を現した大和国の高市御県坐鴨事代主神(たけちのみあがにますかものことしろぬしのかみ)、牟狭坐神(むさにますのかみ)、村屋坐弥富都比売神(むらやにますみふつひめのかみ)に位を授与したとする記述があります。嘉祥4年には、全国の神社の祭神に正六位以上の神階が贈られました。
○勲位
人も神も同じく12等です。人に対しては武勲を上げた者に程して与えられるものでありましたが、7世紀半ばからそれ以外の者にも与えられるようになりました。神に対しても同様です。神に勲位を与えた記述の初見は、天平神護元年、恵美押勝の乱で霊現を現した近江国の都久夫須麻神(つくぶすまのかみ)に対して勲八等を与えたとするものでした。11世紀以降は神に対する勲位の授与は行われていません。
○品位
人については皇族に授けられるものでした。神に対しては授けられた例はあまりありません。天平勝宝元年に豊前国の宇佐八幡の大神(八幡神)に対して一品を、その比売神に対して二品を与えた例などがあります。
神社ごとに定められる社格に対し、神階は神に与えられるものでした。一番有名な神階は、稲荷神の「正一位」であるが、どんなに小さな稲荷神社であっても、そこに祀られている稲荷神の神階は正一位となっています。
人に対する位階は、それによって就ける官職が異なったり、位田が支給されたりなどの特典を伴うものでありましたが、神に対する位階は、単に栄誉として与えられたもののようで、神階よりも神社の社格の方が重視されていました。
神階の授与は、神祇官や諸国からの申請に基づいて公卿の会議で議論され、天皇への奏聞を経て決定されました。平安時代になると、神祇官や国司が勝手に神階の授与するということもたびたびおこなわれ、中世以降は吉田家も神階を発行していて、これを宗源宣旨(そうげんせんじ)といわれていました。宗源宣旨は、当初は天皇の勅許の下に発行されていましたが、後に吉田家が独自に発行するようになったものです。
神階の制度は明治時代に廃止されましたが、現在でも社名に神階をつけているものが多数あります。
○神階
人臣に授けられた位階を神にも授けたものです。正確には、位階は人にも神にも区別なく授けられたもので、そのうち神に授けられたものが神階と呼ばれるということになりました。その仕組みは人臣に対する位階と同じで、位階・勲位(勲等)・品位の三種がありました。
人に対する位階は少初位下から正一位までの30階でしたが、神に対するものは正六位から正一位までの15階のみでした。神に位階を授けた最初の記録は、日本書紀において天武天皇元年に壬申の乱に際して霊験を現した大和国の高市御県坐鴨事代主神(たけちのみあがにますかものことしろぬしのかみ)、牟狭坐神(むさにますのかみ)、村屋坐弥富都比売神(むらやにますみふつひめのかみ)に位を授与したとする記述があります。嘉祥4年には、全国の神社の祭神に正六位以上の神階が贈られました。
○勲位
人も神も同じく12等です。人に対しては武勲を上げた者に程して与えられるものでありましたが、7世紀半ばからそれ以外の者にも与えられるようになりました。神に対しても同様です。神に勲位を与えた記述の初見は、天平神護元年、恵美押勝の乱で霊現を現した近江国の都久夫須麻神(つくぶすまのかみ)に対して勲八等を与えたとするものでした。11世紀以降は神に対する勲位の授与は行われていません。
○品位
人については皇族に授けられるものでした。神に対しては授けられた例はあまりありません。天平勝宝元年に豊前国の宇佐八幡の大神(八幡神)に対して一品を、その比売神に対して二品を与えた例などがあります。
神社ごとに定められる社格に対し、神階は神に与えられるものでした。一番有名な神階は、稲荷神の「正一位」であるが、どんなに小さな稲荷神社であっても、そこに祀られている稲荷神の神階は正一位となっています。
人に対する位階は、それによって就ける官職が異なったり、位田が支給されたりなどの特典を伴うものでありましたが、神に対する位階は、単に栄誉として与えられたもののようで、神階よりも神社の社格の方が重視されていました。
神階の授与は、神祇官や諸国からの申請に基づいて公卿の会議で議論され、天皇への奏聞を経て決定されました。平安時代になると、神祇官や国司が勝手に神階の授与するということもたびたびおこなわれ、中世以降は吉田家も神階を発行していて、これを宗源宣旨(そうげんせんじ)といわれていました。宗源宣旨は、当初は天皇の勅許の下に発行されていましたが、後に吉田家が独自に発行するようになったものです。
神階の制度は明治時代に廃止されましたが、現在でも社名に神階をつけているものが多数あります。